花の絵を描くことについて


2015年5月やまぐちめぐみ個展「melody」での花の絵

小池アミイゴ
1962年群馬県生まれ。長沢節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。1988年よりフリーのイラストレー ターとしての活動をスタート。CDジャ ケットや書籍、雑誌等仕事多数。DJとして唄のための時間OurSongsを主催、デビュー前夜のハナレグミなど多くのアーティストの実験現場として機 能。現在は日本の各地で暮らす人と共に、ライブイベントやワークショップを企画開催。
http://www.yakuin-records.com/amigos


彼女と出会ったのは、2000年代前半のセツモードセミナーの中庭。いきなり「アミイゴさーん」みたいな感じでボクの間合いに入ってきたので、おいおいちょっと待て、お前は何者だ?なんて会話になったはず。それからずっと「口うるさい先輩」として、彼女のやることなすことに触れてきたボクです。

当時の彼女の絵は『不安定な構図の中に立つどこかの国の虚ろげな少女』なんていう作風。意地悪な言い方をすると「学生っぽい」絵として受け止めていたんだけどね。ただ、妙にボクの心の中の触れてもらいたくない部分をトントンと叩いてくる。そんな感覚にちょっとイラッとしながらも、さて、こう感じることの正体はなんだろうか?なんて、結果、彼女の絵を追いかけるハメに。

お互いのイベントを行き来したりの関係を維持しながらも、いよいよ彼女の体の無理が効かなくなったことを認識した時、これからは出来うる限り絵だけで彼女と語ろうと。それは、ボクが絵を描き続けてゆく上で、ボクをイラッとさせるものの正体を知りたかったんだと、今になっては思っています。

2009年、ボクのある友人が死に向かう難病に侵され、その姿に接したことから、花の絵を描くようになります。誰彼に対しても、ボクは無欲な花の絵を見せてゆけば良いのだと、2010年には花の絵の展覧会を開催。そこに無理を押して足を運んでくれた彼女は「アミイゴさんの描く花はいつも茎が太くて力強い」「でも今日飾られていた新しい花の絵は色もとてもやさしいものだった」との言葉を残してくれました。それに対し「どれだけブッ太い茎の花であっても、確実に散るんだな」「だからその辺で咲いていたく思うよ」と返信。

2015年5月、タンバリンギャラリーで開催された彼女の個展に駆けつけたボクは、1枚の絵の前で言葉を失いました。大きな画面の一面に描かれた花たち。そのすべてがブッ太く、まさにそこに咲いていたのです。「口うるさい先輩」は彼女に絵でぶっちぎられたんだと痛快に思い、その3ヶ月後に予定している展覧会に向けて、花の絵を数点描きました。

2015年8月小池アミイゴ個展「東日本」での芙蓉の花の絵
2015年8月小池アミイゴ個展「東日本」での芙蓉の花の絵

その後、彼女の遺作展のお手伝いをする中、彼女のクリエイティビティが加速するポイントと、ボクが花の絵を描き始めた時期が重なっていたことを知ると共に、彼女が幼いころに見ていたであろうもの、たとえば『鮮やかであるけれど派手ではない綺麗なガラスのコップ』なんていうものの色が、彼女の作品の中で輝き、作品の絶対的な魅力になっていることに気づきました。それはボクが子どものころに触れていたものと重なり、そう思うとあの花の絵に溢れる色彩も、ボクにとって懐かしき色ばかり。

やまぐちめぐみ、ずいぶん先回りしちゃってさ、「あのころのボク」をノックし続けてやがった。そりゃーイラッともくるさ。しかし、今はそれが絵を描く勇気に変わっているんだ、やまぐちめぐみ。

そして、同じ時代に絵を描いていたこと、うれしく思うぜ。