カルマにめぐみいたろう


カルマの壁で初めてめぐみさんが自分の誕生日のために作った作品

丸山伊太朗
1970年代、高円寺ロック喫茶 「movin’」に雇われマスターとして関わったことから人の集まる場所のエネルギーと、それをつたえ、自分も変わっていく楽しさを生業と心得る。5年ほど保育士として働いた後、1980年からJR中野駅北口40秒のところで、自分達の料理を無国籍料理と銘打って、「無国籍食堂カルマ」を始める。それから34年2014年12月閉店まで、枝元なほみ、高山なおみ、ほか多数の人材を輩出。その中にやまぐちめぐみも。
彼女と共にセツモードセミナーでモデルをしながら絵を描く。
その後、何人かのオーナーと場を維持し、カフェがシェアするというシステムで、中野に「una camera livera」「ひといきカフェ エカイエ」「あさがやイネル」、鳥取で「うわの空」「tottori カルマ」を展開中。
指編み帽子 「ボケ帽子」作家。
「こだわらないことにこだわる」を信条とする、1950年生まれ。
やまぐちめぐみ亡き後、遺作管理を仲間と共に請負う。
3月2日まで 中野 una camera liveraにて 「もちより やまぐち 作品展」開催中。
http://unacame.jimdo.com/


ある夏の昼下がり、ヒルメロ時間。第二子が生まれたばかりで、家とカルマ、外活動に動き回ってた私のところに突然やまぐちめぐみは現れた。窓際の席に座ったよね。あの時何注文されたか覚えてないけど、他のお客はなく、帰りがけに声をかけたのだけ覚えてる。何でカルマを知って来たのか? ここはカフェだけではなく、こんなことも、あんなこともやってる、もしよければまた来てください、てか働かない?と誘っていた。ここで何も言わないと二度と会えないかもという思いに強くつきうごかされたかも。なんか、がーんときてしまった 。それがそもそもの始まり。

スタッフになり、「カルマいきぬきノート」っていうお店通信を作ってもらったり、サービスカードやお店のチラシデザインも丸投げして描いてもらった。時には身の上を聞きつ聞かれつまきつまかれつ。何を思ってカルマのスタッフになってくれたのかはわからないけれど、めぐさんも、カルマ、店、場所が、だんだんに離れられなくなるくらい好きになって、でも思うようにお客さんは来てくれないので、外に出かけて行ってお店を紹介するようにもなった。

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カルマのために作ってくれたたくさんのチラシの中から本当に初期のもの

スズキコージさんがよく来てくれるようになったのもやまぐちめぐみの働きだ。あの頃は、二人とも、「人と比べて生きない、こだわらないことにこだわる」とか言っちゃって、なにもはやる店だけがいいわけじゃない! 自分たちのやりたいことをやっていくのだと、ぶいぶい言わせながらやってた。料理を作り、ケーキを焼き、カルマに関連するほとんどすべてのことをやり、相談し合い、アイデアを出し合い、二人のバブルでカルマの中が弾けていた時だった。そんな雰囲気を気に入ってくれるお客さんが集まり始めた。すでに開店から20年経っていたカルマだったけど、それからずるーっと、やまぐちめぐみの時代になり新たな輝きを持つようになった。

ぶいぶい言わせながらやってたので、時には店に「あのスタッフ態度が悪い! 客をなんだと思ってんだ! なんだ!!」なんて苦情も。私は「うちのやり方なんで」と電話を切った。

まだ雑貨や自分らしい部屋作りに皆の興味が向いてない頃から、雑貨や家具食器が好きで、センスがよかった。空間構成、画面構成、彼女の好きを生かしてカルマの店内もチラシ作りも一緒にああだこうだやったり、東京のお店を巡ってメニューをバシバシ考えたり。吉祥寺のゆりあぺむぺる。ストーン。ピースオブケーク。数え切れないくらい毎日いろいろ行ったな。今はずいぶんなくなっちゃったけどね。彼女の地元の関西のカフェ巡りもした。

そんななかで、セツモードセミナーの学生がカルマにバイトに入り、壁貸しギャラリーを始めると、彼女は自分の誕生日に作品を飾りたいと言い出した。その興味がだんだんに絵の方に向いていったのは、そこにもっと広がる空間を見つけたからだろうか。セツモードセミナーでモデルのバイトをしたことで、より絵の世界を知るように。好きだったコラージュから画面構成や空間、絵肌にと自分の力をどんどん発揮していった。

彼女の作品展に行くと、そのタイトルのつけ方に心惹かれる人も多いと思う。言葉作りも好きで、永井宏さんの文章教室にも通うようになった。カルマのメニューにもたくさん生かされていた。

私が焼き始めたココスキーパンも彼女のネーミングだ。ひだまり、こもれびデリプレート、お茶のマーヤマーヤ、コトリコトリ、ひなたの、いちごっこ、オリジナルカクテルのとっさブラジル、マラケシュスコール、バーモントピンクトルマリン。楽しい名前をいっぱいつけて遊んだ。それは今も受け継がれている。

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めぐさんの部屋の中にあった最後の日めくりの再現

だんだん彼女自身思うようにからだが使えなくなり、入院を繰り返し、医者からは手術を勧められても、いま!絵を描くことにだけに力を集中していた。少しでも描いたり作ったり、病院のベッドの中でも描き続けることを願っていた。それなのにいつもカルマのことも気にしてくれていたんだ。

今、3月2日まで中野una camera liveraで開催している「カルマにいためぐさん展」の中でこの文章書いてるけど、いろいろそれ違うよ!って言われそう。私がいないのをいいことに、好き勝手やって!って。

そうです、俺の頭の中ではストーリーは増殖し続ける。
なぜかこのところよく店内の電球が切れるんですよ。
さ、これからどうしよう、まだまだ私たちはやまぐちめぐみに熱せられて弾け続けるのか?