2016年02月23日
アフリカンオムライスとチャイ
nowakiの看板とへんちくりん。めぐみさんお手製のへんちくりんは、親交の深かった人が持っているちっちゃなマスコット
きくちみな:nowaki店主
東京での古書店勤務を経て、2012年5月より、京都にて器と本の店nowakiを開店。絵本作家や、手仕事の道具を作る作家の個展を中心に、月に1~2度企画展を開催。2016年2月26日~とりごえまり・やまぐちめぐみ絵本『コトリちゃん』原画展を開催する。
http://nowaki3jyo.exblog.jp/
中野のカルマに初めて行った日のことを覚えている。新宿で大好きなバンドの解散ライブに行った帰り、携帯電話に友達から着信があり「今、絵本作家のスズキコージさんと飲んでるから来ないか?」と言われて、中野のカルマのドアノブに手をかけた。2002年11月の終わり。その夜から、そのドアを何百回も開くことになる。
その頃、カルマに行くのはだいたい夜で、店主のマルちゃんか、めぐちゃんが必ずいたように思う。スズキコージさんが「狭いながらも苦しい我が家」「ぼくらの食堂」と呼んだ小さな店は、線路の高架横にあって、そっちに向いた窓から、中央線の電車がよく見えた。終電まで3分でも、走ったら乗れるくらいの駅近だった。
そんなに広くないキッチンで、どんなスパイスを組み合わせたら、こんな料理が出来るのか? スパイスやナッツ、香辛料を組み合わせた、香り良く、野菜たっぷり、おいしいご飯を、めぐちゃんは次々作っていた。だいたいは、不機嫌そうだったけど、めぐちゃんの作る料理はピカイチで美味しい。店のカウンターに置かれたケーキも、しっかり甘くて、お酒とよく合った。あのキッチンで、華奢な体で、縦横無尽に腕をふるうめぐちゃんは、魔法使いのようでも、女王様のようでもあった。
今でもあの美味しいご飯を思い浮かべる。特に大好きで頼んだのは「アフリカンオムライス」。赤米のご飯を炒めて、オムライスにしてあるんだけれど、炒めたひき肉とパクチーが乗っていて、スパイシー。飲み物は「チャイ」。仕事帰りに寄る私は疲れていて、お酒も飲んだけど、めぐちゃんに甘いチャイを作ってもらうこともよくあった。
めぐちゃんは自分のアトリエの隣の部屋を借りて、古道具を並べたり、お茶を出したりするようにもなって、だんだんカルマにいない日も増えて、お菓子を見るだけの時もあった。でも、友人たちのお祝い事で、カルマを貸し切りにする日は、必ずめぐちゃんの姿がキッチンにあり、夢のようなご飯を食べることが、何度も何度もあった。
カルマの店内にはたくさんのCD、チラシ、めぐちゃんのお菓子やケーキが並び、いつでも誰でも、お腹と気持ちを満たすことができた。無国籍のもの、異国情緒にあふれたもの、音楽と美味しい食べ物が、空間をコラージュしていた。
それから何年も経ち、2012年京都に引っ越して、めぐちゃんと会うこともなくなってしまったけれど、nowakiという店を始めて、店のアカウントでツイッターを始めてから、めぐちゃんと繋がった。話しかけてくれて、めぐちゃんだと気がつき、メッセージのやり取りが始まった。めぐちゃんは変わらず、気さくで、気高く、好奇心が強く、ちょっと意地悪で、ユーモアがあった。
そのあと、めぐちゃんととりごえまりさんが経堂時代のURESICAで展示をした時に、久しぶりに再会することも出来た。まりさんとURESICAの二人に見守られて、ころころと笑うめぐちゃん、送り迎えをする紳士な原マスミさんの姿を見ていて、めぐちゃんは皆の輪の中で、子どものように、くつろいでいるのを見た。
家族も本来は、血のつながらない他人が寄り添って作られる形の1つ。ここには、めぐちゃんのことを想う、家族のような友達がいる。それは、めぐちゃんが作った奇蹟の1つだなと、思う。ここから絵本『コトリちゃん』が始まることも。
めぐちゃんは今、どうしてるかな?と考えた時、ふと思い出す風景があって、たった一度だけ、午前中の光のなか、カルマの前で佇んでいる、めぐちゃんを電車から見たことがる。朝の光に透けそうな、フランス女優みたいに気だるげで美しい姿だ。あんな風に軽やかに、今頃、微笑んでいるかもしれない。
確かにあったあの風景や、食べ物の味、選んだ物、話したこと、たくさんの欠片が、たくさんの人の中に残っている。それが、その人がいたという確かな証。私の思い出は、やっぱりカルマの「アフリカンオムライスとチャイ」。